千島学説をご存知ですか

今から約45年前のことです。生物学者の千島喜久男がそれまでの医学の常識を覆すような学説を発表しました。それが…

千島学説です。

この学説と従来の医学論理の違いを表すのは非常に簡単です。それは、人間の体の基礎である血液が、どこから生み出されていたのか、と言う考えの違いとして、はっきり現れているからです。従来の医学倫理では「血液は骨髄から作られる」のに対し、千島学説は「血は腸から作られる」ということが非常に大きな違いだったのです。

つまり、血液(赤血球)は骨髄から作られるのではなく、腸から作られるという説でした。同じように、ガンという病気も、さまざまな要因、例えばストレスや栄養バランスの悪い食事といった要素が重なって、赤血球に異常が生じた場合に発症する病気、つまりはガンが血液から起こる病気であるということを千島博士は発見したのでした。

しかし、現在の医学論理の定説として、ガンは細胞から発生する病気である、ガン細胞は細胞から発症し、それが猛烈な勢いで分裂や増殖を始めるという見地から、治療法などが生み出されています。だからこそ放射線治療や抗ガン剤といった療法が、あくまでも局地に出来たガン細胞をつぶす目的で行われています。しかし、ガンという病気が血液の異常から発症するのであれば、それはガンを表層的に封じ込めたに過ぎないのです。

これらのことに関しては現在のガン治療やガン患者の多さからも裏付けることが出来るのではないでしょうか。何故なら、現在ガンは日本における、最も死亡率の高い病気となってしまいました。もし、先の見地から細胞を潰す目的で治療を施す現在の療法が有効であるならば、これほどの確率にはならなかったはずです。それと同時に、千島博士が唱えたように、食物から血液が作られるという仕組みの中で、現在の日本人の食生活は劣悪そのものといえるでしょう。ファースト・フード、コンビニ、野菜に使われる農薬、そして駆使や鳥の肥料に使われる材料など、直接的でなくとも劣悪な食環境というのは、残念ながら周りに溢れているといわざるを得ません。

それにガンだけでなく、現在メタボリックと言う形で注目されている症候群が、やはり内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・高脂血症のうち2つ以上を合併した状態が悪化して動脈硬化などを生み出すと言う、やはり現在の食生活の弊害と現代人の不摂生から生み出される、血液に直結した症候群であることからも、いかに血液が健康の基礎として重要であるかが解るのではないでしょうか。そういった病気と血液の変調を照らし合わせると、非常につじつまが合うのです。

そこに気付いたのが千島博士でした。しかも40年以上前に。

しかし、医学会では18世紀にルドルフ・ウィルヒョウが発表した「全ての細胞は他の細胞に由来する」という法則が確立されたのをきっかけとして、細胞学を中心とした医学観が発達し、現在に至っています。彼はさらにガンに関して「ガンは、細胞の突然変異によって生じ、宿主(患者)を死にいたらしめるまで、無限に増殖を続ける」という論説(つまり先に挙げたことです)を発表したことで、ガンに関する定説を決定付けてしまいました。それが現代医学でも根付いてしまったことは、大きな過ちだったのでした。人間の体細胞は生命体で、気圧、温度、光線、湿度等が体内と異なった状態になったとき、急速に死への過程をとります。その死への過程においてのみ細胞は分裂を始めるのです。

とはいっても、未開の領域にある種の道ができると、そこをガイドにして道の先に進みたがるものです。なぜなら、どこへ行くべきか解るようになったのですから。しかし、それが現在でもまかり通ってしまい、ガン治療に対するお決まりのコース、抗ガン剤治療と放射線治療を持ってしても、ガンによる死亡率が減少する傾向が見えないのは、そういった医学論理がまかり通ってしまっているからに他なりません。単純な話、それらの療法が効果を発揮していたのであれば、ガンによる死亡率は減少しているはずです。

そして、その過ちに気付いたのが千島博士です。

千島博士はある日、顕微鏡でニワトリの卵の黄身を観察していました。それはニワトリの卵の細胞を見るための作業でしたが、その時、彼は黄卵球が赤血球へと変化し、さらに生殖細胞に変化するところを目撃したのです。細胞が細胞になるのではなく、赤血球が細胞になったところを。このシンプルだが、それまでの定説を覆す変化に気付いてしまった千島博士は、そこからさらなる研究を行い、細胞は血球から生まれると言う論文を発表しました。

しかし、そこから千島博士と千島学説の苦難の道が始まったのです。

なぜなら、博士の発見は生物学や医学論理の核心を突いていた一方で、ウィルヒョウの法則から始まった医学理論を根底から覆してしまうものだったからです。しかも悪いことに、ウィルヒョウの学説から100年近い年月が経過しており、あまりにもその定説の上で医学が発達していたのです。その結果、学会に発表する前の論文での段階から千島博士の学説は否定的に受け止められました。論文はなかなか受理されず、実際には圧力といっていい扱いを受けていました。その結果、論文の提出から10年もの間、放置されると言う事態にまでなっていました。問題は、この論文が実にシンプルな生物学の真理を突いていたことで、それまでの何十年にも渡って研究されてきた医学や生物学がすべて白紙に戻される可能性があったからでした。それが学会での発表となるといよいよ困難さが深刻になります。そして、千島学説が学会で発表される日は遂に訪れませんでした。

その代わりに千島博士が行ったことは、自身の学説を説いて回ることでした。結局のところ、千島学説は人間の体のシステムの本質を突いていたにもかかわらず、それが医学界の定説を根底から覆してしまうことが危惧されたおかげで、医学会から抹殺されてしまったのです。もちろん、それは医学会や学会の保守的な側面をあらわにする結果にもなったのでした。だからこそ、千島博士はせめて自分の学説を説いて広めよう、と言う考えで講演の以来には喜んで出向くようになり、それが彼の晩年までの活動となりました。もちろん、学会の一部にも彼の学説を支持する向きはありましたが、結果として黙殺される形となった以上、千島自身がその学説を説くことができる機会が設けられたのは救いでもありました。