当研究会でも取り扱っている『「ガン呪縛」を解く』の著者であり、また当研究会代表である三橋とも交友のある稲田芳弘さんが、ガン宣告を受けたのは今から四年前のことでした。
一般的に女性の病気と思われがちな乳ガンですが、実は百人に一人ほどの確率で、男性にも発症する病気だったのです。稲田さんは元々乳首脇にあったしこりが気になり始めたので、皮膚科で診察してもらったところ、自分にとってはささいな胸のイボだと思っていたものが、いつの日かガンを発症していたのです。
しかも、外科でそのしこりを見てもらったところ、「局所進行性乳ガン」であり、しかも進行状況はまだ転移こそ本格化していないものの、初期の段階からは、はっきりと進行してしまったガンだったのです。そして医者からは「すぐに治療が必要なので、早急に入院してください」とまで釘を刺されたのです。
普通なら、そこまでのガン宣告を受けてしまったのなら、疑いの余地無く医者の忠告に従うことでしょう。ところが、ここからが稲田さんの面白く、しかも偉大な点が始まります。
まず、稲田さんは10代の内に妹を病気で若くして亡くしており、多感な時期に家族を亡くす経験をしたことで、現代医学に疑念を抱き始めていたのです。病気を治すはずの治療で苦しんだ挙句に、治療から半年で亡くなってしまった…。
さらに大人になり、歳を重ねてゆくと今度は自分の周りにいる人間がガンで命を落として行く様を身近に見ることが多くなります。同僚、親戚といった身近な存在だった人たちが、ガンを発症し、治療の為に入院したはずが、抗がん剤や放射線治療を受け、みるみる衰えて行き、それどころか、治療のせいで苦しみながら亡くなって行く様子を見ていたのです。
そこで稲田さん自身がガンを発症した際、自身がとった行動は、そういった過去の周りの体験などを踏まえ、まず入院して病院でガンの治療を受けるというコースを止めたのです。
しかし、それは彼が周りの友人たちの闘病する姿を見てきたから、という単純な理由だけではありません。それより重要なのは、彼が「千島学説」を知っていたことです。
生物学者、千島喜久男が1963年から発表した「千島学説」は、その時点でガンの本質を捉えた今見ても十分に画期的な学説でした。しかし、それが現代医療の常識を覆してしまう可能性があったことから、その内容とは裏腹に日本の医学会において黙殺された形となり、しいては封印に近い扱いにまでなってしまったのです。
そこで千島博士が唱えていたことは、「ガンはまず血液の病気である」ということ。つまり、現代でも行われているガン治療のような、ガンを発症した局部を手術する方法ではなく、人間の体を担う重大な要素である、血液の状態を改善する必要があるということでした。
だからこそ、ガン治療の代わり彼が取り組んだのは、玄米を取り入れた食事療法、整体指圧などでした。特に足もみの整体の後は体中に発疹が現れました。そのかゆみに対しても薬を飲んだりするのではなく、熱いシャワーを浴びたり、グラファイトシリカ(黒鉛珪石)を肌に当てるなどして凌いだ結果、二ヵ月後にはすっかり消えていました。
しかもそれだけではありません、ミネラルの補給にも努めたことで、体内からの改善も著しい変化が見られたのです。
病院へ行かずとも、発疹を始めとした体の変調を改善して見せたのは、千島学説による影響はもちろん、病院や薬とは違う形でガンと向き合った発想の転換と意志の強さが成果に現れたのです。もちろん、それらはすぐに体調がよくなるといった変化ではありません。
むしろ忍耐を要することでもありました。しかし、同じに忍耐でも、治療を受けて体が弱っていくのではなく、むしろ明らかな快方へむかっているのが千島学説を取り入れた治癒方法の大きな成果でしょう。
その後も稲田さんは千島学説に沿った、ガン治療以外の方法、いわゆる代替療法を取り入れてガンと向き合った結果、ガン宣告から三年が経った今も元気に活動を続け、さらには胸にある乳ガンの表層部がポロリと剥がれ落ちるという、驚くべき現象も起きています。
もし、稲田さんがガンを宣告された当初の段階で、いわゆるガン治療を受けていたとしたら、現在のようなご活躍をされていたかどうか、かなりの疑問が沸くところであります。何しろ「即入院が必要」と診断されていたのです、それから三年後にもこうして元気でいらっしゃることが何よりの証拠ではないでしょうか。
そして『「ガン呪縛」を解く』も第三版を重ねるほどのベストセラーとなり、そちらのあとがきでも改めてガンと向き合いつつも元気な毎日を送られていることが綴られています。なお、『「ガン呪縛」を解く』は当研究会でも取り扱いしております。





